人を成長させるのに必要なこと

人の成長に必要なもの。それは経験(と失敗)と責任感である。

 経験し失敗すること。失敗し、悩まなくては、その経験は血肉となりづらく、成長の糧にはならない。また、責任感を持たなければ、どこかで他人を頼ってしまい、自分で頭を使うことをしなくなってしまう。それは経験値として薄まってしまう。責任感を持って経験し、多少の失敗をしながらも、物事をやり遂げたとき、その人は成長しているのである。自分では失敗した感じしか残っていなくても、気づいたら、いつの間にかそれが出来るようになっている。その時に人は自分が成長したこと進化したことを実感する。

 しかし、その成長の糧となるものを得るのには親や上司の協力が不可欠である。すでにその経験をしており、責任をもつものが、子や部下にそれを伝え、引き継がせるには、まず彼らに同様の体験をさせなければならない。だが、ダメな親や上司は「危ないから」「失敗したら大変だから」という理由で、被保護者に対して成長させる機会を奪ってしまう。それはすなわち過保護という。「〜をしてはダメ」と禁止することは容易い。ダメな親や上司は「お前にはできないだろう?」といって、やらせないことも容易い。そして「自分でなければできない」「任せていたらいつ終わるかわかrない」「だから自分がやらなければならない」という一種の自己陶酔におぼれ、後進を育てない。それが将来自分たちの首を占めていることにも気づかない。

 特に会社の場合、それは会社自身の成長を止めてしまう。上司は後進を育てず、自分の経験則の中でのみ仕事をする。そして、自分だけが忙しい。おまえらには任せておけないと不満を持つ。だが、それは自分で招いた結果だ。これまで、このようにやってきて成功していたんだから、そのまま頑張るだけだ。後進には任せておけない。と自分を納得させて頑張る。だから、新しいことを始める、冒険するという余裕を持たない。気づいたら、会社は他社の新しいやり方やアイディアについていけず、衰退していく。だから、その会社は一時隆盛を誇っていても、気づいたときには他社に追い抜かれている。その間隔は約10年〜20 年。よくわかる例として、NECのPC産業および携帯電話産業、ソニーのオーディオ産業。一時成功したやり方で発展させていたが、それにこだわりすぎて、気づいたときには時代の流れに追いつけず、いまや他社に追い抜かれている。
 彼らは忘れているのだ。後進は仕事のやり方は知らないが、彼ら自身がいわゆるM1/F1層であり、最も多い顧客層が何を求めているか、どのようなことに興味を持っているかを一番知っているということを。彼ら自身も彼らなりの経験を持っているということを。それらを活かすために彼らに自分たちの経験を伝え、化学反応を起こさなければ、新しいアイディアは生まれ得ないということを。、彼らに経験し、考え、成長する機会を止めてしまっては、化学反応は起こらない。反応すべきものがないのだから。

 人を成長させるものは経験と失敗。そして、責任感だ。そして、成長に限界を持たせてしまうのは、親であり、上司なのだ。親や上司は彼らが失敗することを恐れてはいけない。彼らが失敗した時に自分が尻をぬぐってやることを嫌がってはいけない。一見放任しているようでいて、じっと見守ってやり、致命的な失敗を影で支えてやらなくてはならない。彼らが問かけてきたときには、彼ら自身が考えて答えを出すように導き、なかなか答えを出さないことに苛立ってはならない。苛立ったうえに、彼らを意味もなく叱ったり(ただし、失敗の報告に対しては節度を持って叱り、指導する必要はある。その加減は難しい。やりすぎは逆効果になるだろうし、叱らなすぎれば、彼らの成長はない)、答えを教えて、優越感に浸ってはならない。それこそが、人間>会社>社会が発展していく最も冴えたやり方なのだ。