かていの話

世にさまざまなもの(things)があふれているが、真に興味があるものや理解しているものに対しては
その表面のみならず、過程(プロセス)をも見ているものである。

単に「かてい」と聞いて何を思い出しますか?
家庭 仮定 課程といろいろありますが、今回は「過程」の話です。

昨年テレビでF1の最年少ワールドチャンプが誕生した。というニュースをやっていた。殆どスポーツものを見ない自分だけど、基本的にF1はよく見ている。まぁこれは野球やサッカーなら観るより自分でやった方が楽しいだろうというのが根底にあるのだが、詰まるところ単に興味がないのだろう。しかしF1はマシンの格好良さと駆け引きの面白さからよく見ていたのだ。しかし、その時はスタートが突然のスコールで長引いた上にどうにも眠くてさっさと寝てしまったのだ。で、ニュースを見た時に「結局、ダイジェストと結果だけみれば十分かも」なんて感じてしまった。
しかし、ここで少し考えてしまった。確かに、ダイジェストと結果だけみればそのレースの事はおおよそ分かる。自分が欲していた知識をそこそこ満足させることが出来た。でもそれは楽しんだというのとはちがうし、自分の身(というか話の種)になる事でもない。例えば、何時だか名作文学を芸能人に読ませて、そのあらすじをプレゼンさせるという番組をやっていた。だが、その粗筋を見てその本を読んだ、楽しんだというのとは異なる。本当に物語を楽しむのには、やはりちゃんと文章を読まなくてはならない。何より文間から作者の意図を感じたり、自分の思考を引き出したりすることが面白いと思うのだ。
そもそも、現在の日本には様々な娯楽を提供するメディアが溢れている。我々はそれを対価を支払って享受しているわけだが、その製作過程を考えることは少ない。まぁその作品が対価に見合ったできかどうかは別として、物語にしろゲームにしろ絵にしろ音楽にしろ、その製作過程にはなみなみならぬ時間がかかっているものだ。その作品のデキが対価に見合っているか(楽しめるか)のみを考えるか、その製作過程や発想を想像し、実践してみるかが消費者で終わる人とクリエイターになる人との差が生まれるのだと思う。